陸前高田の津波体験を聞く!アナタは足下10cmに迫る津波を想像出来るだろうか?

こんにちは、yutaka(@goyutaka)です。

先日、陸前高田を初めて訪れて震災から4年目を迎える現状を実際に見る事ができました。
この津波を経験した米沢商会の米沢さんから、生でその当時の体験を聞く機会があり、それは想像を絶するものでした。

アナタは足下約10cmに迫る津波の恐怖に耐えながら、1㎡も無いスペースで一晩耐え忍ぶことを想像できるでしょうか?
下の写真の位置は、米沢さんが命からがら流されずに済んだ建物の煙突の上から3F屋上に向けて撮影した写真です。


矢印のラインが津波到達高さです。
濁流がこの高さに迫った状況を理解できるでしょうか?

今回の見学に当たっては、
米沢商会の米沢さん、現地コーディネートをしてくれた「RoadJapan」の長野さん、造成工事施工者の「清水・西松・青木あすなろ・オリエンタルコンサルタンツ・国際航業 陸前高田市震災復興事業共同企業体
ほか、現地の皆様のご協力のもと参加する事ができました。

震災遺構を「残すべき」「解体すべき」など賛否両論あるなか、この記事執筆に当たってはどう表現すべきか迷いもありました。
あくまで私「さわだ ゆたか」というフィルターを通してのものです。
立場・環境によって感じ方も違うとは思いますので、その点はご理解下さい。

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米沢商会ビル

今回ご好意で見学させていただいた「米沢商会」様のビルの外観はコチラ。
すっかり窓のサッシ等がなくなってしまっておりますが、強固な鉄筋コンクリート造のビルは原型をとどめております。

もうこの周りには建物はありません。
唯一当時を凄まじさを語ってくれる建物となっております。


側面から見るとわかりますが、建物は3F建てですが屋上にペントハウス(階段室)があり、そこは4階の高さになります。


このビルがある場所は現在造成工事の工区内ですので、一般の出入りは出来ませんのでご注意下さい。
建物は持ち主の米沢さんの想いもあり「震災遺構」として保存されることとなっております。

1Fエントランス正面にある階段です。


あえて当時のまま保存する事とした1階の事務所スペース。
書類が残っていますが、その他にも大量の流入物が入り込んでいる状態です。


当時の体験を語ってくれました

建物の所有者である米沢さんが当時の事を時間を追って詳しく説明してくれました。
それはこの津波の事を伝えて行って欲しい、津波の怖さを皆に知ってほしいという想いからです。
我が家の子供達にも「伝えていってね」と優しく語りかけてくれました。


地震発生当時は津波の事も気にはなったが、「どうせ2Mくらいだろう」と思っていたそうです。
私も北海道に住んでいた時に体験した地震での海面上昇は約1〜2Mでしたので、仮に自分がこの場にいたとしても同じように考えたと思う。

そして防災無線で避難放送が流れていたが、あるときプツっとその放送が止まりあまりにも不自然な止まり方だったので、それを気に外を見た時に津波が迫っている事に気付き、上階に向かってダッシュしたそうです。

階段室の窓から見えた光景は津波がものすごい勢いで山側へ向かっている状況。


3階の屋上に上がってもまだ水面が迫ってきて、この階段室のペントハウスのタラップを駆け上る。


そこでもまだ波が上昇してくるなか、最後にたどり着いたのがこの煙突の1㎡にも満たないスペースです。


私の薄っぺらな言葉では伝わりませんが、ほんの一瞬で一気に海面が迫り恐怖に耐えながら必至で逃げた状況を教えて頂きました。
指定避難場所に避難された米沢さんのご両親と弟さんは残念な結果となってしまったそうです。
同じ3F建ての鉄筋コンクリートの建物だったようですが、このスペースが米沢さんを救ってくれたのです。

ご好意で私もこの煙突の上にも上がらせて頂きました。
足下10cmに迫る波のなか、これ以上うえに上がることが出来ないこの位置で、一面濁流ななか耐え忍ぶ事を想像できますでしょうか?
私には言葉になりませんでした。


この位置から見える風景。
遠くに見える穏やかな海が嘘のようです。


このあと水面がどんどん下がっていき、3Fの屋上に降りられるようになってからは寒さと余震、余震後の波の流れを真っ暗ななか一晩過ごされています。

これだけは伝えたい

米沢さんが強く語ってくれました。


・津波は怖いものであるということ。
・海岸部では今回の陸前高田と同じ様に15M程度の津波がくる可能性があるということ。
・自分の身は自分で守れるようになること。

地震が発生したときに本当に逃げる動作に入れるでしょうか?
「たいしたことないよ」と思って、何かきてから動けばよいと思っていないでしょうか?
私もやはりそのような行動をとっていました。

それではダメだという事です。
「怖さを知って逃げて欲しい」という事をしきりに語ってくれました。

また海岸近くでクルマを停める時には、必ず進行方向に向けて駐車する事。
何かあったらエンジンを掛けてまっすぐ逃げられる状態にしておく事が重要とおっしゃっておりました。

やはり今回津波が迫る中、バックさせてとやっている間にパニックになり運転操作がままならずに逃げ遅れたという事があった事実を教えてくれました。
たった30秒くらいの差が分かれ道に・・・

さいごに

今までテレビ報道でしか見た事がなかった現地の状況ですが、実際に自分の目で見てほしいと強く感じる体験となりました。


テレビなんかでは体験する事ができない風景、心に感じるものが必ずあります。
復興工事が真っ盛りな陸前高田、震災から4年目を迎えますがまだまだ傷跡や手つかずの部分があります。

津波の怖さを残された建物を見て感じ、自分の行動を考えて欲しいです。
また被災地復興の為にも継続支援が必要な事が理解できると思います。
薄っぺらな私の言葉では伝わらないものがそこにあります。

3月で東日本大震災発生から4年目を迎えます。
この事実を風化させることなく、この機会に私は防災意識を高めていきたいと強く感じました。

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